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東日本大震災
災害ボランティアセンターでの体験を語る

  • 東日本大震災の発生により、全国社会福祉協議会から各都道府県社協に対し、被災社協への支援要請がありました。これを受け岐阜県社会福祉協議会から県内市町村社協への協力要請があり、郡上市社会福祉協議会から3名の職員を派遣いたしました。
     職員派遣により岩手県大槌町で被災地支援活動に携わった職員が集まり、ボランティアセンターでの経験や被災地支援に対する思いを語り合いました。

皆さんは、このたびの派遣要請に手を挙げられたのですが、その理由は?

  • 八代:私が被災地へ行った時は発災1ヶ月後で、自分の周りに現地へ行った人は居ませんでした。さまざまなメディアで報道されるが、被災地やそこで活動するボランティアなどの本当の姿は現場へ行き、ともに活動をしないと知ることはできないし、郡上の皆さんにも伝わらないと思ったからです。阪神淡路大震災の折りは合併以前で社協の規模も小さく、人員的に派遣要請に応えることができませんでしたが、このたびは事務局スタッフの協力の中で機会に恵まれました。やはり、現地で活動したことにより、報道だけでは知り得ない多くの経験を得ることができました。

岡田さんと井上さんはどの様な思いで?

  • 岡田:基本的には八代さんと同じ思いですが、純粋に自分の目で確かめたかった。東北は遠く、なかなか行ける場所ではないが、僕らは社協マンという立場で被災地の支援に向かうことのできる環境にあったことをありがたく思いました。職場内で要請があった時には自然に手が挙がっていました。

  • 井上:私も環境には感謝します。皆さんも同じ気持ちかと思いますが、職場や家庭、まわりの皆さんの被災地への思いが環境を作ってくださったとふり返ります。被災地支援という目的は言うまでもなく、普段から「百聞は一見にしかず、されど百見は一行にしかず…」という思いで、自身で感じ経験をしてみることを心がけており、その先には郡上で経験を活かせればという思いがあり手を挙げました。

  • 八代:県内の市町村社協の仲間が、被災地支援をとおして互いのつながりと絆を強め、被災地での貴重な経験により学びを得て、被災地の復旧・復興と派遣市町村の福祉を高めることのできる体制がつくられている事はたいへん良いことだと思います

同じ釜の飯を…というような感覚に似ていますね。

  • 岡田:本当にそのとおりで、一緒に行った県内社協の方だけでなく、被災地の大槌町社協の皆さんは印象に残る人ばかりでしたので、またいつか機会があればもう一度、大槌へ行きたいたと思います。

皆さんそれぞれの思いを持って被災地に向かわれたのですが、行った時の被災地の様子はいかがでしたか?八代さんが行かれた時の写真では、瓦礫がほとんど片づいていないように見えましたが…。

  • 八代:そうですね。瓦礫より行方不明者の捜索が中心でした。道だけが辛うじて通れる状態でしたが、自衛隊の捜索に使用する重機が優先で、私たちの車輌は自由に走れない状態でした。また、道にも細かい瓦礫が散乱し、しょっちゅう車やボランティアが使用する一輪車がパンクしていました。

  • 岡田:私が行った時は不明者の捜索も一部行われていましたが、案外片づいていた印象。でも、釜石で津波被害を受けた場所へ入った瞬間はショックというか「ウォー」という声しか出ず、大槌までの道のりは言葉が出ませんでした。

  • 八代:目の前の光景が一瞬で変わる。

  • 岡田:そう。突然でした。ただ、自分で恐ろしいと思ったことは、毎日、釜石の宿から大槌へ通っている間に、それが自分の中で普通の光景になってしまった事。
    井上 確かに。私も被災地へ入った瞬間は言葉になりませんでした。こんな光景を経験したことが無いから表す言葉が見つからない…そんな感覚でした。瓦礫はほとんど集積され、車のナビゲーションが「コンビニを目印に右へ…」と言うが建物は撤去され、何も目印が無い、荒涼とした土地が広がっていました。

そんな状態の中、ボランティアの状況はどうでしたか?

  • 八代:私は初期の段階だったためか、ニーズに対しボランティアが足りない状態である一方、捌ける仕事も限られていました。例として、被災住民から家の片付けなどのニーズはあがるが、本人が避難所に居て家が留守という状況。連絡もとれず、家へ向かう交通手段も無い。防犯上の問題もあり不在時に勝手に入れないという場合、帰宅時の少ないチャンスを狙ってボランティアを派遣しなければならず苦労しました。ボランティアの皆さんも自由意志であるため日によって人数の差があり、ニーズ数とのマッチングにも苦労しました。最初はありがたい気持ちを持って来てくださるボランティアだから…と待っていてくれた住民も、なかなか来ないボランティアにしびれを切らす様な場面もありました。

たいへんでしたね。実際、災害でボランティアセンターは機能していましたか?

  • 八代:当時は災害ボランティアセンターを設置していない町が多く、設置していても自治体の運営で活動の斡旋がうまくできていなかったようです。大槌、釜石、陸前高田は社協が運営していたと覚えていますが、大槌へ行けば活動を斡旋してもらえるとのことでボランティアが集中し、最初はさまざまなものが整っていないため受け入れに混乱したようです。

ボランティア活動のためにはインフラがある程度整備されないと活動が進まないということですか?

  • 八代:そうですね。全く進まないわけではありませんが、活動の障害となることは間違いありません。私が派遣された頃ではボランティアが撤去した瓦礫の集積場所などの課題があり、行政が機能していないため指示もなく、安易な判断が別の課題を生むこともありました。ですから、活動しやすい環境をいかに整えていくか、大げさな言い方をすればボランティアセンターの采配によって復旧の進度も変わると言えます。

  • 井上:私はたいへん暑い時期でしたので休憩できる日陰や給水、トイレの課題がありました。建物がないため日陰は無く、水道も不通。トイレも瓦礫だらけだから男性はその辺で…と思ってしまいがちですが、住民への配慮が必要で、トイレを準備しなければ活動に入ってもらえない等の制限はあったかと思います。この震災では、自己完結でのボランティアという意識が広まっていましたが、さすがにトイレまでは自分で準備できませんよね。でも、他所ではトイレまで自己完結という方針のところもあったようです。

  • 岡田:駐車場の課題もありました。バスで多くの皆さんに来ていただけることはたいへんありがたかったが、駐車場の確保は難しく、バスの運転手さんに苦情をいただく事もありました。他にも仮設住宅の住民への炊き出しボランティアの申し出がありましたが、自治会や既存の組織、コミュニティの崩壊により、受け手となる代表者の不在が活動を困難にしました。ボランティアはニーズと対になっており、つながってこそ成り立つ事を痛感しました。また、行政やさまざまな組織とのつながりの必要性も感じました。ただ、基本的には大槌はボランティアをすべて受け入れる姿勢でいましたので、さすがに900人以上を受け入れた時はサテライトのスタッフをはじめ、たいへんだったと思います。


えっ!1日900人ですか?7月頃ですと個別のニーズも減っていたかと思いますが…。

  • 岡田:大槌では秋に鮭が川を遡上するんですが、鮭が川に帰って来られるよう、河川の清掃をする「鮭プロジェクト」を行ったり、復興のシンボルとするべく河川敷を一面の菜の花畑にする「菜の花プロジェクト」などが始まっており、大半の皆さんにそちらの活動を行っていただきました。これらの復興企画づくりやこれらの企画を進める人との連携もボランティアセンターのコーディネート能力の為せる業だと思います。

  • 井上:私の行った頃は、個別ニーズはほぼ収束しており個人からの「○○をして欲しい…」といった明らかなニーズは無く、「菜の花プロジェクト」のような復興に向けた活動にシフトし、サテライトも一箇所に集約されていました。この頃、復旧から復興への変化を感じました。それは、ボランティアセンターがニーズを受ける受動の姿勢から能動の姿勢への変化とも言えるかと思います。例をあげると、お盆前で被災により亡くなられた方の初盆という事もあり、お墓参りがしやすいようにと墓地の瓦礫撤去などが行われていました。表現が少し適当ではないかもしれませんが、向こうでのお墓参りは盛大で、お供えもたくさん。迎え火や送り火などもあり、お盆の墓参をとても大切にされる風習のようでした。こうした地域ならではのニーズを敏感に察した動きは能動的なもので、被災地の心の変化を感じるとともに、地元スタッフの存在とセンター方針である「地元主体」の重要性も感じました。相手の見えないニーズではあるかと思いますが、その活動はしっかりと地域の住民に受け入れられ、つながっている事を感じました。

なるほど、ボランティアセンターには高い能力が求められているんですね。

  • 八代:はい。被災地には、何らかの助けになりたいという一生懸命な気持ちを持った多くのボランティアや団体が集まります。このありがたい気持ちも、所々バラバラに発揮されると行き違いが生じ、トラブルに発展することもあります。このありがたい気持ちを被災住民の福祉に活かすためには、まず全てを受け入れる包容力と一つにまとめられる統率力、スムーズかつ的確に人と人、気持ちと気持ち、力と力などをつなげられるコーディネート能力の高さなどが求められます。そういった意味で今回の派遣は、私たちの地域での災害に備え、これらの能力を高めるためのたいへん良い経験となりました。

  • 岡田:それに、今回さまざまな人との出会いがあり、たいへん良いつながりが生まれたと思います。ボランティアセンターの能力には、こういった日ごろのつながりの蓄積も含まれると思います。

  • 井上:日ごろからの準備と言えば、意識づくりも大切かと思います。先程も話題に出しましたが、今回は自己完結の意識が広まっていたことが、被災地支援にたいへんプラスに働いていたのではないかと思います。

災害ボランティアセンターは災害時だけのものではないということですね。皆さんに聞きたいお話しはまだまだありますが、さまざまな場で語り、伝え、活かしていただくとしまして、最後にこれだけは伝えておきたいという事がありましたら…。

  • 八代:今、被災地は「復興」という意識に向かっていると言いながら、個々の住民は雇用をはじめとする多くの課題をかかえ、自らの生活を取り戻す「復旧」が進んでいないのが実状です。震災発生当初は、さまざまな機関をとおしてたいへん多くの義援金が寄せられていましたが、時間の経過とともに徐々に少なくなってきています。途中、なかなか被災者に届かないとの課題もありましたが、現在も多くの義援金が必要な状態かと思います。義援金は共同募金会として社会福祉協議会の窓口で受け付けておりますので、皆さんのご協力をお願いいたします。そして、今後の災害も含めボランティアに向かわれる皆さんは、自己完結を原則に、災害ボランティアセンター等の情報をよく確認のうえ大いに活動に参加していただきたいと思います。ただし、ボランティア活動に行った日によっては必ずしも活動があるわけではない事をご理解いただきたいと思います。そんな日は被災者への配慮の気持ちを持ちつつ、被災地の姿を目に焼き付け、自分の地域の減災に活かしていただいたり、観光により復興の応援をしていただきたいと思います。